シナプスのゴミ箱

このブログの内容はあくまで個人的所感であり、世間一般のそれとは異なる場合がございます

文を通わす

「文通」
現代となってはほぼ使われないコミュニケーションツールであるが、実は自分は昨年11月から友人と文通をしているものなのだ。
訳を話すと少々長くなるが、簡単に言えば、罪を犯してしまった友人と拘置所、あるいは刑務所宛で文通をしている。
単にその友人との連絡手段がそれしかないのだ。
しかし文通というものは奥が深い、なかなかに面白いものである。
例えば文字の書かれ方1つ、大きさ、乱れ方、そこから文字としての情報だけでなく感情まで伝わってくるのだ。
それは届いた文を読むこちらだけに生じるものではなく、もちろん相手もその情報を得ることができる。
文字を書くということ、デジタルツールがこれだけ普及したこの世では学生でもない限り、社会に出てしまえばその機会はほぼ失ってしまう。
しかし、書く事で、自分自身を見つめ直す事もできる。
例えばこのブログはスマートフォンで入力しているが、同じ文章を文字で書いたらおそらくは脳内で全く違った処理が成されると思うのだ。
文字を書くのは脳にいい刺激になるのではないか、と思えて仕方ないのだ。

さて、友人との話はこれまでとして、今現在、自分は一人暮らしではなく同居人がいる状態になっている。
彼氏が実家にとてもいられる状態ではなく、それを引き取ってきた、という形だ。
かつて我が身に起きたあれこれを知る人間からすれば「本当に大丈夫か?」と心配されるかもしれないが、今のところ、その心配は無さそうだ。
むしろお互いにお互いの病、障害を理解し、少々病院嫌いの所はあるが、今もドクターストップを素直に受け入れ、大人しくしている。
さて、そんなお互いにドクターストップを受けている状態で、自分はこんな提案をしたのだ。
「交換日記をしてみない?」
お互いに様々な過去を抱えている。
その話はお互いに知っている。
だがそれはたいていは通話で話されたものだったり、LINEの文章上で話されたものだったり、実際に2人で会話したものであったり、「ぱっと取り出すことのできない所」にその情報はあるのだ。
それをノートに書けば、パラパラとめくるだけでそれを見返す事ができる。
お互いに人間不信、嘘は嫌い、ならば証拠を残そうではないか。
当然ドクターストップなので二人とも一日中家にいる。
そんな中で交換日記なんてする意味ある?と彼氏には問われたが、字を書く事、簡単にアーカイブとして読み返せる環境を作り出すこと、それこそに意味があると思う自分はこれを決行した。

友人が刑務所に行ってから返信が途絶えているが、自分は毎週手紙を送り続ける。
彼女が孤独を感じないように。
手書き文字でのコミュニケーションは、案外、楽しいものだ。