シナプスのゴミ箱

このブログの内容はあくまで個人的所感であり、世間一般のそれとは異なる場合がございます

「生誕」に向けるべき祝辞

ありきたりな話をしよう
今日は自分の誕生日だ
今年で23歳となる
2月3日生まれの23歳という数字マニアからしたらとんでもなく面白い揃いの1年なので、何がしか面白い事が起きて欲しいなとの思いもある

さて、話を変えよう
よく「お誕生日おめでとう」の言葉に「生まれてきてくれてありがとう」などと追加する場合があるが、自分はこの事に疑問を抱いているのだ
まず一点、「生まれてきた」段階では自我の形成は成されていない
ということはつまり、「自分の意思で行われたものでは無い」と言える
そして「産んだ」のは母親だ
つまり、「生まれてきてくれてありがとう」は誕生日を迎えた本人への祝いの言葉と言うよりは、母親への賛辞の言葉としてのニュアンスが強いように思える

ならば自分はどう言葉を変えるか
簡単である
「ここまで生き延びてくれてありがとう」だ
惰性で生きている人間も決して少なくは無いが、少なくとも死へ向かう行為をしなかったか、あるいは失敗しているかによってその人物との繋がりが残っている訳であり、これは「本人によって成し遂げられたもの」であると言える
だからこそ、「誕生日おめでとう」の後に続くべきは、「ここまで生き延びてくれてありがとう」であるべきだ、と自分は思うのだ

もちろんこの他に「友達でいてくれてありがとう」だとか、本人の意思によって行なわれた行為への礼を足すのもいいだろう

さて、もうまもなく自分の誕生日は終わる
そしてそこから隙間すらなく、我が友の誕生日が始まるのだ
友への文は届くだろうか
今は会えぬ友への想いを馳せ、今日ここに我が誕生日への言及を終了しようと思う