シナプスのゴミ箱

このブログの内容はあくまで個人的所感であり、世間一般のそれとは異なる場合がございます

共通認識の罠

「こんな不完全な世界を作るなんて、神はどうかしている」
「こんな世界を作るなんて神は不完全だ」
「本当に神が万能ならこんな苦しみは無かったはずだ」

ちょくちょく耳にする言説である。
ここから述べることは以前に述べた事と重複するかもしれないという事を先に宣言しておきたい。

自分は無神論者だ。
故に神も輪廻転生も信じてはいない。
たまにメンタルケアの為にその類に頼ってしまうこともあるが、そもそも「神」「オカルト」等といった類は人間の精神安定の為に作られたフィクションであると考えている。
例えば「葬式」だ。
あれは死者を送り出す為の儀式ではなく、生者を「納得させる為」の儀式であると自分は考えている。
話を戻そう。
先に述べた神への嘆き、その全てにこれが見え隠れしていないだろうか。
「神は万能である」という前提条件が。
自分はこれに疑問符を持たざるを得ない。
人間という生き物は不完全な生き物だ。だから完全を求めるその心理はわかるのだ。
だがしかし、「完全」を知らぬ「不完全」な生き物が例え空想であっても「完全」を創り出す事は可能だろうか?
自分の答えはNoだ。
何故なら、人間は己に想定可能な事柄までしか空想する事ができないからである。
「困った時の神頼み」なんて慣用句もあるが、それこそ「神は万能である」という共通認識とおもわれているそれからきているものだ。

わかりやすく、日常レベルまでこの話を落としてみよう。
例えば電車だ。自分は「電車内での飲食は厳禁(ただし新幹線等特殊車両は除く)」という考えを「社会的な共通認識」だと考えている。
そして実際問題ほぼ全ての人間はそう考えているのではないだろうか。
実際、混雑する電車内で食品を貪る人間を見つけた時、だいたいの人間は眉をひそめてその人間に視線だけで「わかってるだろ」というようなリアクションをするのみである。決して口に出して注意をしようという者はいない。
そしてそのままその人物の評価は「どうかしている人間」と、何の意思疎通も無しに決定されてしまうのだ。
たとえその人間が上京してきたばかりで地元では車内飲食OKの地域から越してきた人間であったとしても、だ。

共通認識というのは恐ろしい。
共通認識、言い方を変えようか。
「普通」「常識」というものは恐ろしい。
皆似たり寄ったりの考えを持っているのではあろうが、その全てが一致することなく社会的流動的に様々なあれやこれやが決定されてしまう。
あなたの「常識」は他者の「常識」と合致するだろうか?
あなたの「普通」は本当に「普通」だろうか?
考えてみればきりがない。

ただ一つ言えること、それは「共通認識には罠がある」これだけである。