シナプスのゴミ箱

このブログの内容はあくまで個人的所感であり、世間一般のそれとは異なる場合がございます

その井戸はどんな井戸か?

井の中の蛙大海を知らず」
こういったことわざがある
意味するところはこういったものだ

http://kotowaza-allguide.com/i/inonakanokawazu.html

そしてどうやら、このような続きがあるという説もあるらしい

「されど空の深さ(青さ)を知る」

究極的に言ってしまえば、言葉なんてものは大半は大昔に作られたものであり、そして当時の感覚で決められている
だからこそ、いわゆる「言葉狩り」のような、「これじゃあまるで〇〇じゃないか!こう表記するのはやめよう!」なんて行動が、その言葉ができてから何十年何百年と経ち、文化も文明も大きく変わった現代ではよく見られるようになるのだ

さて、今日はこの言葉について語りたい
何日か前、実はこの話題に少し触れている


これだけだとなんのこっちゃという話だが、一つ一つ分解していく

まず「井の中の蛙」と一括りにしているが、それは本当に正しい分類か?
そもそも「井戸にも種類がある」だろう
大きな井戸、小さな井戸
屋根のある井戸、屋根のない井戸
蓋のある井戸、蓋のない井戸
ここで「されど空の深さ(青さ)を知る」は続きとしては不完全なものであると自分は言いたい
「屋根のある井戸でどうやって空を見ようっていうんだ?」

さてここで井戸在住のかえるさんとお話した場合、どんな事が発生しますかね
まずはこう聞いてみましょうか
「あなたは『空』を知っていますか?」
はい、ここで『空』という概念を知っているかえるさん、知らないかえるさんといったふうに差が発生します
そして知らないかえるさん、「そら、って何ですか?」質問がされるでしょう
そしてこう答えたとしましょうか、「ずーっとずーっと上の方に広がってる青い所の事ですよ。雨が降ってくるところです」と
ここでまた2つ差が発生します
まず、「青い」という概念を知っているか否か
そして「雨」という概念を知ってるか否か
「青い」を知らなかったかえるさん、それに対し「井戸から上に見える広がってる所の色を『青い』って言うんですよ」と回答された場合
屋根のない井戸在住のかえるさんなら問題無いでしょう
しかし、屋根のある井戸在住のかえるさん、おそらく彼らは「井戸の天井の色」、つまり黒やら灰色やら茶色やら、おそらくそういった色の事を『青い』と誤認します
屋根の大小もあるでしょう、内部から覗いた場合、空が見えない程度には大きな屋根のある井戸、ある程度は空も見ることのできる屋根のある井戸等、ここでも差が発生するでしょう
そして『雨』に関しても同じことが言えるでしょう
「空から降ってくる水の事だよ」と説明されたとする
そもそも屋根のある井戸在住のかえるさんは「なんだそれ?そんなものあるか?」とそれそのものを理解できないかもしれないし、なんならたまに降りてくる水汲みバケツの事を『雨』と誤認する可能性もあるだろう
そして、そもそも根本的な疑問がある

「それ、本当に井戸?」

例えば極端に地面との段差が激しい池、このような場所でも井戸と同じように、「外の世界に触れる事ができない」という状況は発生しうる
そして他には「周囲の茂みがやたら濃い池」、または同じような「沼」
なんならご家庭の水槽や虫かごだって、「外に触れる事ができない環境」といった点では井戸と同一だ
そんな所に「井の中の蛙」のような、「外と接点の無いかえるさんは井戸に住んでるかえるさん」という概念が持ち込まれれば、大抵のかえるさんは「そうか、自分は外との接点がない、ってことは井戸に住んでるんだ」といった認識をするだろう

さてこんなかえるさん、インターネット上では沢山見ることができる
自身を「とある属性」であると自負し、そしてその持論をまるで「その属性共通の認識」であるかのように発信する
そして「とある属性」の保持者ではあるが、その持論と同一の理論を持たない者により炎上へのレールが用意される
かえるさんで例えるとすれば、「井戸生活は夏の日照りが辛いんです!井戸に住まない人もそれを考えてください!」と発したとして、それに対し「何言ってるの、日照りなんて一年中辛いでしょ」「いや日照りとか何言ってるの?そんなの無いし」「いや発信者の言うことが正しい。頭おかしい外野多すぎ」等、どんどん場が混沌としてくる
実際、ここには「屋根がある」「森等遮光物がある」「近くに大きな熱源がある(温泉等)」といったふうに、その主張の原因となりうる異なった要素が存在するのだが
それがこのツイートに繋がる

最近、本当にこの「井戸在住」といったような要素、皆が「共通の意味を有している」と信じて疑わない属性、単語だが、その実それの意味は個人個人でバラバラであるといった要素が原因のあれやそれを多く見るようになった
これも「本当に増えている」のか、それとも「多く見る環境が整っただけ」なのかは、自分には判断がつかない

誰もが皆、かえるさんなのだ
あなたは「己の井戸のみが正義と信ずるかえるさん」にはなっていないかな?