シナプスのゴミ箱

このブログの内容はあくまで個人的所感であり、世間一般のそれとは異なる場合がございます

恋と愛

「恋」と「愛」
その違いは何だろうか
想いの強さの違い?いや、そんな人によって変わってくる曖昧な基準で言葉の定義は決められまい
ならば辞書にはどうあるか?
一例を挙げよう
例えばgoo辞書によるとこのような記述がされている

https://dictionary.goo.ne.jp/jn/71244/meaning/m0u/

https://dictionary.goo.ne.jp/jn/353/meaning/m0u/


うん、わからん

という訳で自分にとっての恋と愛ついて語ろうと思う
あくまでこれは自分が個人的に勝手に定義付けているだけで世間の認識がこれと同一かと言われればそうでは無いということは先に宣言しておく

まず簡単に
「恋」とは、相手を好きでいたり、相手を想う感情を持っている状態のこと
「愛」とは、相手と共にいたい、相手を幸せにしたいと願ったりする感情を持っている状態のこと

とだけ言うと、だいたい70%の確率で「一緒じゃねーか」とツッコミが入る
だがこれらは明確に違う意味を持つ

恋、究極に言ってしまえば、これは一人でも成立するのだ
愛、これは逆に一人では成立しないのだ


「恋をしている」という状態は、例えば誰かを好きであり、その誰かに強い想いを抱いていたり、強い好意を抱いていたりで、この恋が成就した場合に「幸福」を得られるのは「自分自身」なのだ
そこに相手がどう思っているかは関係なく、成就すればただ単に自分が嬉しい、言ってしまえば「自己完結することのできる感情」なのだ
「その人と一緒にいられるならただ幸せ」という、そこに相手の意思は介在せず、あくまで恋は自分本位の現象なのだ

だが愛はこれとは対照的だ
「愛している」という感情は、「相手に幸せなって貰いたい」や「相手を幸せにしたい」等、あくまで「相手の幸福を願う」ものであり、これの成就は一人では叶わない
それを成就させるには必ず相手の行動に介入する必要が出てくるし、究極的に言ってしまえばここに「自身の幸福」は関係ないのだ
さらに言ってしまえば、「幸福を願っているだけで、別に好意を抱いていたり自分も幸せになりたい等と思う必要」もない、ここにこれらは関係しない
ある意味では「相手が幸福になることが自分の幸福」とも言えなくはないが、その場合でも順序は相手→自分となり、やはりまずは相手を幸せに導く必要があるのだ
「ただこの人を幸せしたい」、ある種自己犠牲の感情とも言える、相手を第一に考えた感情だ

こうして考えているとこの二つは相対するように見えるが、両立は可能だ
「相手に強い好意を抱いており、一緒になりたいと願っており、かつ相手を幸せにして自分も幸せになりたい」という状態ならこの定義で言っても「恋」もしてるし「愛」もしている
もちろん「恋はしてるけど愛はない」も「愛してるけど恋はしてない」も存在しうる

なおこれは寄り道的なものだが、「なら『恋愛』はどうなんだ」と問われれば、「総称的なもの」と解釈している
例えば「彼氏」「彼女」と分類は別れているが、それらはまとめてしまえばどちらも「恋人」であるし、「iPhone」「Android」と存在するが、これらもまとめて言ってしまえば「スマホ」である
「恋愛」とはこの「恋人」や「スマホ」の概念のように、「恋と愛、どちらかあるいは両方の感情を持っている場合の詳細を指定しない総称」というように考えている

恋愛において、相互に恋をしていたり、相互に愛していたり、あるいはその両方をしていない限り、いつかそれには綻びが生じると思う
片方は愛しているが片方は恋しかしていない場合、前者は後者と比較すると最終的に自己犠牲に繋がってしまう可能性が高い
あるいは片方は恋も愛もある、しかしもう片方が愛しかない場合、前者の方が「自分はこんなに幸せにしてもらっているのにどうして自分は相手を幸せにできないんだ」と思い悩んでしまう事もあるかもしれない

やはり人間と人間のやりとりである以上、完璧にはいかないのだ
それとどうやって折り合いをつけていくか、今自分が一番考えなければいけないのは「恋と愛の定義」などではなく、今まさに「綻びが生じている」現実だろう